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戦国武将の面影をめぐる ~中村公園歴史散策~

 

妙行寺

この常泉寺の南隣には「妙行寺」があります。この寺は、名将・加藤清正公の生誕の地と伝えられている古刹。清正公が名古屋城建築の折、余った築材をこの寺の改修に使ったとされ、本来は約100mほど離れていた寺を自分の誕生した土地に移し、父母たちを弔う菩提寺としたといいます。

先に述べた豊臣秀吉公とこの加藤清正公、いまも全国に名を知られる2人の武将は、時を同じくしての“中村区に住むご近所さん”だったわけです。この事実は、彼らをよく知る名古屋の人々や歴史愛好家以外には、ちょっとした驚きかもしれません。

日蓮宗正悦山妙行寺
こちらは加藤清正生誕の由来が残る「妙行寺」

名古屋市秀吉清正記念館

そんな2人の名君についてよく分かるスポットが近くにあります。中村公園文化プラザ内にある「名古屋市秀吉清正記念館」。その名のとおり、秀吉公と清正公に関する歴史的資料を収集・展示している施設です。時代区分としては、秀吉公が仕えた織田信長が天下統一を目指したころに始まり、秀吉公の天下統一、豊臣氏滅亡となる大坂の陣までをクローズアップ。5つのテーマに分け、波乱に満ちた彼らの生涯をビデオ展示などで紹介しています。

ほかにも、この地を出とした前田利家や前田慶次たち、この地にゆかりの深い織田信長や徳川家康などの武将たちについても言及。一時期は国をも左右した英雄たちがこの近辺で次々と活躍した様子がわかり、とても勉強になります。

名古屋市秀吉清正記念館
数々の歴史的資料が展示されている「名古屋市秀吉清正記念館」

秀吉公と清正公、この2人は、存命のころからも、そして長き時を経た現在でも、変わらず畏敬を集めていることがわかります。たとえば、清正公ゆかりの妙行寺の所在地は、名古屋市中村区木下屋敷。「木下」とは、のちに豊臣姓を授けられた秀吉公の、もともとの姓。尊敬できる武将の名とお屋敷街を組み合わせた、周囲の憧れの住宅街だったようです。木下屋敷の近所には、「加藤屋敷」という地名のエリアもあります。こちらも木下屋敷と同じような理由で名付けられ、現在も愛すべき住宅街なのでしょう。

「尾張名古屋は城で持つ」という言葉がありますが、城は、武将たちの居住地。どうも、名古屋は“住まい”を大切にする、暮らしやすい地だという点は昔から不変のよう。今回の散策は、歴史とともに名古屋駅近くのエリアの住みやすさも教えてくれたようです。

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