埼玉県最大の都市「大宮」の発展の歴史

埼玉県最大の都市「大宮」には、その発展の礎となった、明治時代に始まる「鉄道」「製糸」という2つの大きな産業がありました。

「製糸」といえば、2014(平成26)年6月に群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、世界遺産として正式に登録され話題となりましたが、「富岡製糸場」は、1939(昭和14)年以降、大宮に大きな製糸場を構えていた「片倉(現・片倉工業)」の経営となり、閉鎖後も長年にわたり施設を保存してきたことが世界遺産登録につながっており、大宮との縁も深い場所です。

今回は、大宮における「鉄道」「製糸」それぞれの発展の歴史とともに、現在の大宮の街に残る面影を探してみました。

「鉄道の街」としての歴史

大宮は武蔵国の一宮ともいわれる「氷川神社」の門前町として、また特に江戸時代以後、中山道の宿場町として、発展した歴史をもつ街で古くからの交通の要衝でした。

大宮駅「大宮駅」(高野岩吉(大正6年)『大宮写真帖』報知新聞大宮通信部 国立国会図書館蔵)

現在のJR高崎線は、日本初の私鉄である「日本鉄道」の第1期線で、1883(明治16)年に開通しましたが、当初「大宮」駅は設置されませんでした。衰退を懸念する地元の要望もあり、現在のJR宇都宮線である第2期線が1885(明治18)年に開通するにあたり、その分岐駅として「大宮」駅が開設されます。

鉄道院大宮工場「鉄道院大宮工場」(高野岩吉(大正6年)『大宮写真帖』報知新聞大宮通信部 国立国会図書館蔵)

1896(明治29)年には「大宮」駅の北に隣接して「日本鉄道大宮工場」(現・大宮総合車両センター・大宮車両所)が開設、1906(明治39)年には国有化され、国の基幹となる鉄道の工場として発展していきます。

大宮工場の位置「大宮工場の位置」(陸地測量部(現・国土地理院)発行の2万5千分の1地形図(昭和元年発行 浦和・与野)を使用)

「大宮工場」では、鉄道車両の修繕・補修が中心に行われてきたほか、戦前には蒸気機関車の製造も多く行われ、工場周辺には労働者も多く暮らすようになり、大宮は企業城下町的に発展します。また、私鉄も含め多くの路線が乗り入れるようになったほか、1982(昭和57)年には東北・上越新幹線が開通するなど、大ターミナル駅となってゆきます。

「鉄道の街」の名残を探す

鉄道博物館「鉄道博物館」

近年は、工場の規模は最盛期に比べて縮小しており、敷地の一部には「鉄道博物館」が開設されたほか、フィットネスクラブなどJRグループの企業の出店も見られ、大宮の新たな魅力となっています。

鉄道ふれあいフェア「鉄道ふれあいフェアで公開される大宮総合車両センター内部の様子」

「大宮総合車両センター」では毎年5月に「鉄道ふれあいフェア」を開催しており、地元住民や鉄道ファンとの交流を深めています。

「製糸の街」としての歴史

江戸時代から、北関東は養蚕や絹織物の産業が発展していましたが、江戸末期の開国以降は、重要な輸出品として、国の基幹産業となってゆきます。1896(明治29)年に現在の「高崎線」「宇都宮線」の分岐駅として「大宮」駅が開設。北関東の養蚕地と、生糸を積み出しする横浜港の間に位置する大宮には製糸工場が多数立地し、生糸の生産地としても発展しました。

片倉組大宮製糸所「片倉組大宮製糸所」(高野岩吉(大正6年)『大宮写真帖』報知新聞大宮通信部 国立国会図書館蔵)

1901(明治34)年には岡谷の「片倉組(現・片倉工業)」、1904(明治37)年に「岡谷製糸大宮館」、1907(明治40)年に須坂の「山丸組(山丸製糸)」といった、長野県を発祥とする製糸工場が進出。明治末期から戦前にかけては11もの製糸工場があったといいます。製糸業の繁栄とともに人や資本がさらに集まるようになり、大宮の街は大いに発展していきました。

大宮駅周辺の主な製糸場「大宮駅周辺の主な製糸場」(陸地測量部(現・国土地理院)発行の2万5千分の1地形図(昭和元年発行 浦和・与野)を使用)

「製糸の街」の名残を探す

戦前の昭和恐慌や戦争、戦後の産業構造の変化により、大宮の製糸業は衰退することになりましたが、現在も「製糸の街」として栄えた歴史を感じることができます。

コクーン新都心「コクーンシティ」

現在、JR「さいたま新都心」駅の東側にひろがる「コクーンシティ」。コクーンとは、繭(まゆ)という意味で、もともとこの地に「片倉製糸場」があったことなどが由来している。

埼玉県立大宮高等学校「埼玉県立大宮高等学校」

「コクーンシティ」の北側にある埼玉県内有数の進学校として知られる「埼玉県立大宮高等学校」も、片倉製糸紡績株式会社が設立した「片倉学園」などを前身としており、製糸業と関連が深いスポットです。

さいたま赤十字病院「さいたま赤十字病院」

大宮の中核的な医療機関である「さいたま赤十字病院」は「日本赤十字埼玉支部療院」として1934(昭和9)年に、向かいの場所にあった「渡邊製糸場」の寄付により誕生しています。

山丸公園「山丸公園」

「市民会館おおみや」や隣接する公園、タワーマンションなどがあるエリアは「山丸製糸」の跡地。「山丸公園」という名称がその歴史を伝えています。

このように、大宮の「製糸業」の遺した施設や文化は、現在の住民の生活にも、大きな恩恵を与えていると言えるでしょう。

大宮駅「大宮駅」

現在、県内最大の商業地となっている「大宮」駅周辺。明治時代からの産業であった「鉄道」「製糸」が、この街の繁栄の礎となっています。

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