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浦和のエリア概要

 

永き歴史を有する宿場町「浦和」

玉蔵院玉蔵院

浦和の歴史を振り返ると、平和で穏やかな街という言葉がよく合いそうです。浦和という名前の由来は定かではありませんが、日光輪王寺所蔵の1396(応永3)年の奥書を持つ大般若経に「武州浦和」とあるのがもっとも古い歴史だと言われています。平安時代に創建されたと言われる古刹・玉蔵院の門前町として栄えたといわれているのです。

浦和宿碑浦和宿

そして江戸時代になると、江戸と京都を結ぶ中山道の宿場町として本陣や問屋が置かれることとなり、栄えました。浦和は日本橋から数えて3番目の宿駅。1876(明治9)年になると、埼玉県が成立します。宿場町として栄えていた浦和宿は県庁が置かれることになりました。

1923(大正12)年に関東大震災が起きると、地震災害の少なさや首都圏から20キロメートル圏内という至便性から、住宅地として注目されるようになり、多くの人たちが移り住みました。1934(昭和9)年には市制が施行され、戦後は住宅都市・文教都市として発展を遂げたのです。それから2001(平成13)年には、旧浦和市、旧大宮市、旧与野市が合併し、さいたま市が誕生。2003(平成15)年には、さいたま市が政令指定都市へ移行し、浦和区が誕生したのです。

関東大震災や、戦争の被害をまぬがれた浦和エリアには、歴史の名残を感じさせる施設が多数現存していることも特筆すべき事項です。

調神社調神社

地元では「つきのみやさま」の愛称で親しまれている「調(つき)神社」はおよそ2,000年前に創建されたと言われる歴史のある神社。こちらは鳥居のない神社として有名で、「月」と同じ名前を持つことから、狛犬ではなく兎が置かれているという全国的でも珍しい神社です。

浦和うなこちゃん浦和うなこちゃん

浦和といえば、実はうなぎが名物。それは江戸時代にこの周辺に沼地が多かったことから、魚釣りに訪れる行楽客に沼地でとれたうなぎを出したのが始まりだといわれています。浦和のうなぎは味が良いことが評判になり、それが現在まで連綿と続いているのです。また、京都に向かう途中で浦和宿以降、うなぎを食べられる場所がしばらくなくなるため、浦和でうなぎを食べておこうという人たちも多かったようです。大正時代の半ばになると、人口増加による土地開発のために地場のうなぎはいなくなってしまいました。しかし当時の名残から、浦和駅前にはご当地キャラ「浦和うなこちゃん」を設置。うなぎの街、浦和をしっかりとアピールしています。

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