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多摩地域有数の長い歴史が薫る府中市

 

府中市は東京都多摩地域のほぼ中心に位置し、多摩地域の拠点の一つとしてにぎわっています。府中という名はかつて「武蔵国国府」があったことに由来し、古くから地域の中心地として発展してきました。

「武蔵国国府」が置かれた街

国史跡武蔵国府跡

「武蔵国国府」は『和名類聚抄』に「多麻郡に在り」と記されており、現在の多摩地域のいずれかにあったと考えられていました。長い間正確な場所は不明でしたが、1975(昭和50)年以降の調査により、現在の「府中」駅の南、旧甲州街道と「大國魂神社」付近に国府の中心となる役所があったことが分かっています。

この役所跡では、建物跡や瓦など多数の遺構、遺物が確認され、ともに出土した土器などから8世紀前半から10世紀後半まで国府として機能していたと考えられています。現在、この役所跡は「国史跡武蔵国府跡」となり、大型建物跡部分には再現された柱や展示室が整備されています。

関東地方有数の古社「大國魂神社」

長い歴史を誇る「大國魂神社」

「大國魂神社」は景行天皇41年に大國魂大神がこの地に降臨し、それを祀った社が起源と伝えられる長い歴史を持つ神社です。大化の改新後「武蔵国国府」が「大國魂神社」に置かれ、「大國魂神社」は国府の斎場となったといわれています。

「大國魂神社」の例大祭「くらやみ祭り」は「武蔵国国府」で行われていた国府祭をルーツとする伝統の行事です。その名の通り、明かりを消した中で行われる祭りは関東三大奇祭の一つに数えられています。

「大國魂神社」から延びる「馬場大門のケヤキ並木」は平安時代から植樹が始まったと言われています。現在も周囲6mを超える古木が残り、500mにわたって続く並木は府中のシンボルとして親しまれています。

江戸時代には甲州街道の宿場町として発展

江戸時代になって甲州街道が整備されると、府中には宿場が設けられました。「府中宿」は甲州街道の4番目の宿場で、現在の「府中市役所前交差点」付近に本陣がありました。甲州街道と鎌倉街道が交わる交通の要衝でもあったことから、本陣1軒、脇本陣2軒のほか約30軒の旅籠が集まり、行きかう旅人でにぎわっていたようです。

今も残る「府中高札場」

「府中宿」では市が開かれたほか、うどんやそばの店も集まり、府中の名物はそばとも言われていました。現在も「大國魂神社」の御旅所には、江戸時代に幕府の政策や禁令などを掲示した施設「府中高札場」が残っています。

古代地域行政の中心地であり、その後人々が行きかう宿場町であった府中。当時の面影が残る数々のスポットを散策して、歴史を感じるのはいかがでしょうか。

多摩地域有数の長い歴史が薫る府中市
所在地:東京都府中市 

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