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「有松絞り」で知られる名古屋市緑区有松エリアの歴史を訪ねる

 

歴史を変えた「桶狭間の戦い」

名鉄名古屋本線「有松」駅の南側には、歴史の薫りが色濃く漂うまちなみが広がります。この有松周辺では戦国時代に日本の歴史を大きく変えた「桶狭間の戦い」が行われました。1560(永禄3)年圧倒的多数の軍勢を誇る今川義元を、織田信長は約10分の1の兵力で打ち取ります。これにより、織田信長の勢力は大きく拡大、やがて織田政権の樹立へとつながります。

桶狭間古戦場公園

現在、「桶狭間の戦い」が行われた場所は「桶狭間古戦場公園」として整備され、「織田信長、今川義元の銅像」や「今川義元の墓碑」などにかつての面影を感じることができます。

東海道有数の名物になった「有松絞り」

時は下り、江戸時代になると江戸と京都を結ぶ東海道が有松付近を通過するルートで整備されました。「池鯉鮒宿」の次の宿場は「鳴海宿」とされましたが、この区間は松が生い茂る人里離れた丘陵地で、盗賊も出没していたといいます。そこで、尾張藩は有松に茶屋を設けることを決め、1608(慶長13)年に有松への移住を促すお触れを出しました。

有松への移住に応じた一人が竹田庄九郎です。竹田庄九郎は手ぬぐいに古代から伝わる染めの技法である絞りを施し、茶屋で土産物として販売しはじめました。尾張藩も絞りを特産品として保護したこともあり、「有松絞り」として東海道の名物となります。有松のまちの繁栄は、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵に描かれているほか、十返舎一九が書いた『東海道中栗膝毛』にも有松でのシーンが描かれています。

有松・鳴海絞会館

今も有松には「有松絞り」の工房が点在し、ハンカチやスカーフなどで絞りの体験ができるほか、「有松・鳴海絞会館」では絞りの実演を見学できます。

今も残る有松のまちなみ

有松のまちなみ

こうして発展をつづけた有松ですが、1784(天明4)年の大火でほぼ全戸が焼失してしまいました。この大火からの復興に際し、防火のため総瓦葺で塗籠造の商家が建ち並ぶようになりました。有松の商家は間口が広く、太陽の日差しから藍染めの商品を守るために低い軒とされていることも特徴です。

この時期に造られた建物が第二次世界大戦後まで数多く残っていた有松では、1970年代から町並み保存運動が行われるようになりました。1984(昭和59)年に名古屋市は有松を「町並み保存地区」に指定したほか、2016(平成26)年には国の「伝統的建造物群保存地区」にも選定され、歴史的なまちなみが将来にわたって残されることになりました。

現在の有松のまちなみは観光スポットとしても注目され、歴史的な建物を利用したカフェやレストランも誕生しています。「有松あないびと」によるガイドも行われており、有松の歴史や見どころの解説も受けられます。

名古屋市近郊にありながら、歴史と伝統工芸が息づく有松。週末にぶらりと散策すれば新たな発見を得られるでしょう。

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