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水天宮

 

水天宮

「安産の神さま」として親しまれ、多くの人が訪れる「水天宮」は、1818(文政元)年、当時の久留米藩主・有馬頼徳の「江戸詰中にもお参りをしたい」という願いにより、福岡県久留米市瀬下町にある水天宮の総本社から有馬家の江戸屋敷に分社されたのが始まりである。当初は港区にあり、現在の日本橋蛎殻町に移ったのは1872(明治5)年。移転当時には寂れていたこの界隈も、「水天宮」の人気で現在の賑わいを見せるようになったと言われている。

もともと「水天宮」は、源氏に敗れて幼くして入水し果てた安徳天皇とその母・祖母を、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と共にお祀りしたという悲しい起源を持つ神社でもあるが、その起源ゆえに今は「子どもを守る神さま」「水難よけの神さま」として親しまれ、年間を通して様々な祭儀が行われるようになった。特に、巣鴨の「とげぬき地蔵」や虎ノ門の「金刀比羅宮」と並んで東京の最大縁日のひとつでもある5月5日の例祭は、休日ということもあって多くの人が訪れる東京の風物詩となっている。

なお、5日の例祭の始まりについては面白いエピソードも残っている。当時の「水天宮」は藩主の江戸屋敷の中という一般の人がお参りできない場所にあったにもかかわらず、塀越しに賽銭が投げ込まれるほどの信仰を集めていた。そこで有馬家では異例なことながら、毎月五の日に限って屋敷を開放して「水天宮」の参拝を許したため、江戸っ子たちはその情け深さを喜び、人にお礼を言うときに「情けありまの水天宮」と有馬家と水天宮をかける洒落が流行ったとか。

水天宮
所在地:東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1 
開門時間:7:00~18:00
https://suitengu.or.jp/

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