日本の「ココカラ」日本橋エリア
日本橋の麒麟像
江戸時代、五街道の起点と定められ、現在も主要国道の基点となっている日本橋。“日本の道の起点から飛び立つ”というイメージから、橋の中央に立つ麒麟像には羽のような背びれが付いています。
日本橋
「日本橋」の名が付く町名が中央区に多い理由は、明治時代に「日本橋区」が制定され、第二次世界大戦後までの約70年間一つの自治体であったことに由来します。1947(昭和22)年に京橋区と合併して中央区として再編された際、地域住民から「日本橋」の名が消えることへの反対もあったことから、「日本橋室町」「日本橋小舟町」「日本橋人形町」といったように、町名に「日本橋」を冠称する形となりました。
日本国道路元標
日本橋が架かる「日本橋川」は、江戸時代は多くの物資が集まる河岸も設けられ、全国から人やモノが集まる拠点になっていました。現在、日本橋川の南側にある双十郎河岸は日本橋川遊覧の船着場として利用され、対岸には日本橋魚河岸の碑と乙姫像が祀られています。
乙姫広場
人とモノが集まれば当然、お金も集まります。江戸時代から日本橋には金座・銀座(蛎殻町銀座)が置かれ、1683(天和3)年には日本橋室町に「越後屋三井両替店」(現・三井住友銀行)が創業しました。
三井住友信託銀行